学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 苦難の女専設立 #9 (第94話)
公開日 2012/08/27
昭和5年頃の正門(右)と通用門 校舎・設備もまた、“尺取虫”計画ながらより申請基準を満たすことに努めた。
 安城高等小学校の旧校舎を購入・移転、旧校地の残る校舎3棟も移転して、1棟は2階建に改造して正門に接し、階下を事務室に、階上を理科と裁縫などの標本室に、他の2棟は普通教室としてその奥に並設。正門周りを整備して、“高等教育機関”としての体裁を整えた。
 こうして着々専門学校設置の準備を進めた結果、昭和5(1930)年4月、財団法人安城女子専門学校が認可され、念願の専門学校を設立できることになった。
 安城女子専門学校は、全国の家政系女子専門学校の11番目、愛知県内では金城・椙山につぐ3番目の女子専門学校としてスタートしたのである。
 実際に発足した当初のあゆみは決して安易なものではなかった。
 安城女子専門学校が認可されれば、裁縫科中等教員の免許状は無試験で下付されるものと思っていたところ、文部省が行う国家試験に合格するという条件がつけられていた。この検定試験はかなり厳しいもので、学生は安城女子職業学校と同様、試験に合格して教員資格を取るために日夜懸命に勉強することになった。
 この“専門学校設立”は、中等教員養成の道が開かれたという実利とともに、学園自体にとって、当時の女子教育の最高の“高み”にのぼったということへの責任感と自負をもたらすことになった。
 だが、これがまた、戦後に始まる新展開の時代において総合学園を構築していく礎になることは、この時点ではだいも山崎も見極めるべくもなかった。戦前の今、辛苦して専門学校を設置したことは、戦後の新学制発足にともなって新しく設けられた「短期大学」の設置の基盤ともなり、戦後のいち早い総合学園化につながるのである。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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