学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 苦難の女専設立 #8 (第93話)
公開日 2012/08/25
昭和3年11月10日、天皇即位のご大典の当日、安城女子職業学校で行われた祝賀式「安城に女子専門学校を設立すべく年来の努力未だ酬いられず、寺部氏の焦慮は気の毒である。農村を背景の女子専門学校はあってよい、そこに寺部氏が着目して万難を排しての努力は見るに忍びず、僕は校長を引き受けてその成立を早からしめたいと尽力をしておるのである。」

 山崎は、日記にこうしたためながら、積極的に安城女子職業学校との接触を深め、認可のための布石を敷いていった。

「あなたがやられるならよかろう」

 文部省当局からそんな言質(げんち)もとっていた。

* * * * *

 昭和4(1929)年の11月、高松宮殿下が2日にわたって愛知県の農村視察に来訪された。1日目は安城の農事視察。案内役となった山崎は、農村女性の自立に尽くす安城女子職業学校の存在を紹介し、農事に関する高等教育として安城女子専門学校設立の経緯についても説明し、その必要性を訴えた。
 専門学校教員については、これまで申請された安城女子職業学校の主要教員に、山崎の人脈を生かした教員スタッフを選び加えて教員構成に厚みを増した。

倫理 農学士 山崎 延吉
哲学 文学博士 椎尾 辨匡
農芸・園芸 農学士 内藤 乾蔵
農業経済 農学士 渡辺 庸一郎
法制・経済 法学士 井上 時次郎
国文 文学士 今枝 和夫

 田中隆三文部大臣あてに開申したこれらの顔ぶれは錚々(そうそう)たるものだった。
 なかでも椎尾(しいお)は、仏教運動として共生運動を推進する日本の仏教学者であり、当時は大正大学教授、また山崎と同時に愛知1区から出馬して当選した衆議院議員の同志でもあった。
 内藤は札幌農学校の出身で元安城農林学校教員であり、山崎の手の内の人。渡辺は現職の東京帝国大学助教授で山崎の女婿であった。いずれも山崎の広い人脈によってそろえた強力なラインナップだった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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