学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 苦難の女専設立 #7 (第92話)
公開日 2012/08/24
安城女子職業学校に初めてテニスコートが完成。全校生徒が作業に携わった(昭和3年) 認可再申請が急がれた。しかし、時遅し。この年の認可には間に合わないことになった。山崎は『興村行脚日記』に書く。

「…女子専門学校を建て農村を背景とし、農村的の人物を造らむは、僕等の念願である。幸に寺部氏は独力一切の資格を具備して認可申請をしたが、文部省は容易に許可せぬ。寺部氏は宛(さなが)ら物狂の態であり、後援者の岡田町長また座視するに忍びずとあって、共に上京して僕に助力を求められた。斯(かか)る事は頼まれてやるべき事ではない。僕は上京後安藤参与官にはよく情を尽しておる。故に文部省の意向を聞くべく、寺部、岡田両氏を帯同して世間並の運動に出かけた」

 3月23日、山崎は、だいと岡田を伴なって、文部省に安藤参与官を訪ねた。
 そして、認可延期が確定的であることを覚ると、ある決断をした。

「文部省の意向を知るに至って聊(いささ)か決する所あり。寺部、岡田の両氏に旨を諭して別れたが、場合によりては、僕が校長を引き受け、内容の充実に一臂(いっぴ)を添へる事になるかも知れぬのである」

 文部省の意向を確かめた山崎は、この時、期するところがあって、安城女子専門学校の校長就任を決意した。山崎は、安城女子専門学校の認可されない理由が、単に財団法人の基本金の額の乏しさにあるのではなく、その教員陣の充実の不備にあることを知って、一肌脱ぐ気になった。山崎は日本の代表的な農業地帯である安城で、農事教育にもかかわる専門学校をむげに否認されることに義憤を感じたのだった。
 山崎はこの時多忙の身だった。前年の昭和3(1928)年2月、普通選挙法に基づいて最初の総選挙―“第1回普通選挙”が行われるにあたって、周囲からの強い後押しもあって出馬して当選し、衆議院議員になっていた。その超多忙な中の決断だった。
 昭和4(1929)年4月からの女子専門学校設置は、結局、名古屋の椙山女学園に認可がおりて、安城女子職業学校からの申請は見送られることになった。安城での女子専門学校設置は仕切り直しとなった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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