学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 学校資格を高め #1 (第66話)
公開日 2012/07/20
大正10年に行われた作品展覧会。廃物利用のコーナー。即売も行われ、一般の参観者も多数来校した「高等小学校の校舎も結構立派に再生されたねえ」
「おかげさまで…。校舎も3棟になりました。生徒も追々増えておりまして、これから一層世に役立つ人を育てていきたいと願っています」

 大正4(1915)年3月7日、安城裁縫女学校は華やかさに包まれていた。郡長、町長など地域の有力者、そして小学校長ら130名を招いて盛大に開校式を行っていたのだ。その席に安城町長の岡田菊次郎も招かれていた。
 生徒数が50名になったことで、大正3(1914)年3月には第3校舎を増築した。安城町長の岡田の尽力によって、元安城高等小学校の校舎を買い受けて移築したものであった。その1年前の町長の厚情に、だいも開校式の場であらためて感謝するのだった。
 生徒数は大正3年度末には100名近くにまでなっていた。(『碧海郡誌』には大正3年度末で、卒業生15名、生徒数96名、学級数5と記録されている)
 ここにいたって、だいもようやく心の余裕が出てきた。開校以来丸3年が経過した。この間、第2・第3というあいつぐ校舎増築のため、学校経営の面においては苦労が伴ったが、目標の一つともしていた裁縫科教員の検定試験にも合格者を出すようになり、苦しいながらも学校の運営に将来への希望と自信が芽生えてきた。

―ここであらためて世間にお披露目をし、生徒たちの日頃の学習成果を見ていただこう…。

 これまで学校経営と教授に追われてなかなか実行できなかった開校式を挙げよう、という思いになったのだった。
 開校式の翌日からは、開校記念の裁縫科展覧会を校内で3日間開き、一般にも公開して多くの見学者を迎えた。全生徒が色々な作品を作って出品したが、小物入れ・財布・手さげ袋などの袋物は即売されて、好評を受けた。裁縫女学校としての存在感と実力が公に認められた催しでもあった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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