学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 創めの地ここに #11 (第65話)
公開日 2012/07/19
大正3年ごろの授業(教室うしろ、ミシンの前にすわっているのが寺部だい) 裁縫の授業は、個人学習で各自細目に従って進められていった。だい(のちには助手の教生(卒業生)なども携わる)の個人指導を受けながら作品を作って検閲を受ける。出来栄えが認められると次の作品に移る。だが、技術が少しでも不完全の場合は、最初から仕立て直しを命ぜられる。「指導態度はきわめてやさしいが、評点は実に厳しい」というのが生徒たちの実感だった。個人指導で徹底的に教えられた。細目を完了すると卒業できるが、うかうかしていたら規定の年数では卒業できない。そのため、生徒たちは自学自習に努め、「隣の生徒が教えられているのを横目で見ながら、自分で覚える」ということもよくあったという。
 短時間に一定の作品を仕上げるという早縫い競争が行われたり、夏期休暇の間には、袋物、刺しゅうなどの手芸等各種の講習会が開かれ、参加者に修了証が渡されたりもした。
 こうした厳しい教育指導が熱心に行われたのも、だいにある思いがあったからだった。

―単に女性として備えるべき裁縫技術を教えるだけでなく、裁縫を職業として自立できる女性を育成したい…。

 それは、これまでの自らの体験に照らして生み出された教育への信念だった。その思いは、その後、校名の変更にも表されていく。
 履習科目には、裁縫の他には、本科でも専修科でも礼法を週1時間ぐらいずつ学習し、また希望者には茶道、華道が教えられた。
 裁縫技術についての厳しさは言うまでもないが、日常の生活態度についても厳格で、清掃、整頓は徹底して行われ、言葉づかいや登下校時の挨拶もよく戒められた。
 “女性の能力開発”“質素倹約”“真心”―だいは、こうした言葉を念頭におきながら、単に技術を伝達するのではなく、全人的教育を図ったのだった。このような厳しく徹底した教育方針は、当然ながら父兄からの支持を得た。
 こうしたことが評価されて、生徒数は、3年目には開校時に当面の目標としていた50人ほどになった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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