学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 学校資格を高め #2 (第67話)
公開日 2012/07/21
大正6年の本科卒業生(前列右から2人目・寺部だい校長、3人目・榊原きそ、円内中央・寺部三蔵校主) だいは、裁縫女学校の教育において、裁縫を通して“実力をもつ家庭婦人”の育成を図るとともに、“裁縫科の教員”の養成にも力を入れた。女性の地位向上と生活能力の開発のためには、小学校教員の養成を目指すことが最も適切なすべだと考えていたからだった。
 そのため、だいは母校・東京裁縫女学校から師範科卒業生の榊原きそを迎え、裁縫・珠算を担当してもらい、小学校教員の養成に力を入れた。
 小学校裁縫専科正教員の検定試験は、小学校に奉職中の助教員でも多くの不合格者を出すという難しいレベルのものだったが、努力の成果は徐々に上がり、検定試験に合格するものは毎年数名ずつにのぼるようになった。
 そうした中、だいは、その“自立路線”を強調して、「裁縫によって身を立て、小学校教員を職業とする人物を養成することを目指す学校」という特色を校名に打ち出すことを考えた。
 その実行は大正6(1917)年4月。校名を「安城裁縫女学校」から「安城女子職業学校」に変更した。
 当時、職業能力を身につけるための実業学校には商業学校、工業学校、農学校、師範学校などがあったが、“職業学校”と名づけた学校は少なく、奇抜な感がもたれた。
 だが、だいには、この頃、女子の実業教育の必要が叫ばれて各地に設立され始めた実業補習学校に対する意識があった。
 実業補習学校は、“役に立つ主婦”“家業(主として農業)を助ける婦人”の養成が目的であった。これに対し、だいは経済的にも独立した婦人の養成、すなわち“職業婦人”の育成を目指していた。
 そこで、だいは、熟慮した後、実業補習学校と一線を画すために、「女子職業学校」を校名に採り入れたのだった。
 そして、校名ばかりでなく、検定試験に合格できるだけの高い技術と知識を身につけるために「師範科」を設け、その目標をはっきり打ち出した。
 だが、校名変更によって気概も新たに出発すると間もなく、翌7(1918)年、思いがけない危機に見舞われた。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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