学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 変革の時代へ #6 (第134話)
公開日 2012/10/16
完備された岡崎キャンパスの体育館(奥)と学生食堂(左)。手前は「学びの泉」 平成4(1992)年、学園は創立80周年を迎える。
 記念事業として3月に全国私立高等学校女子ソフトボール大会を安城で開催したが、これを皮切りとして、11月10日に名古屋市民会館ホールでウィーン交響楽団記念演奏会、22日には名古屋観光ホテルで記念式典及び懇親会を開催して、愛知県内の有力学園としての存在感を示した。
 その後の実勢もとどまるところを知らなかった。それは、まず大学の拡充となって現された。平成3(1991)年5月の経営学部情報棟の完成に続いて、平成5(1993)年4月には、経営学部に経営情報学科を増設した。履修モデルを、既設の経営学科は「経営学」「国際経営」「産業経営」の3モデルに変更し、経営情報学科は「システム開発」「情報管理」の2モデルで出発した。経営情報を統括して管理することのできる人材の育成を図った。
 翌6年には、家政学部に生活文化コースを増設した。被服、欧米文化の2コースを廃止して、栄養、食品科学、生活文化の3コース制とした。
 また、コース制の整備とともに、ハード面の整備も。家政学部と短期大学が同居している岡崎キャンパスの再開発工事に着手した。
 これは、大学創設のときから既に20数年が経過し、老朽化が目だってきたのと、学生数も創立当初の200名弱から400名近くに倍増してきており、特に家庭科教員を目指す男子学生が全国から集まり、その数の増加に伴い男子学生のための設備が不足してきており、全面的な建て替え、キャンパス全体の再開発が求められることになったからだった。
 再開発は平成7(1995)年3月に完了したが、このことによって、矢作川沿いにある舳越町一帯は、愛知学泉大学・愛知学泉女子短期大学・岡崎城西高等学校が並んで、白亜の鉄筋校舎が林立することになり、高見の場所ともなる矢作川堤防から望んだそれは、“大規模な学園王国出現”といった光景だった。
 こうした中、平成5(1993)年4月、岡崎城西高等学校の校長(第6代)に清毅の次男・曉(あきら)が就任した。
 曉は同時に学園理事にも就いたが、まもなく副理事長、7(1995)年4月には大学・短期大学の学長代行も兼任し、学園を担うキーマンとして嘱望されていった。
 ここに、学園は新しい潮流を迎えることになる…。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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