学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 変革の時代へ #4 (第132話)
公開日 2012/10/13
カピラノ大学からの留学生を囲んで(昭和 61年) 安城学園高等学校吹奏楽部は国際的な活動も盛んだ。昭和63(1988)年12月、中国政府から招聘を受け、中国(北京、天津)へ、平成2(1990)年8月にはオーストラリア・ヴィクトリア州政府の招聘を受け、オーストラリア(シドニー、メルボルン、アルトナ)へ演奏旅行と、国際的にも活躍する。その中、平成元(1989)年2月には、愛知県芸術文化奨励賞を受賞、全日本アンサンブルコンテスト全国大会(熊本県)ではトロンボーン4重奏で銀賞を受賞するなどその実力の程も証明される。
 勉学とクラブの両立を図る岡崎城西高等学校でも多くのクラブが競い合う。昭和50年代にはサッカー部が全国高校サッカー選手権大会で3位を獲得(昭和56年1月)したのをはじめ、陸上競技部、ハンドボール部、バドミントン部などは、全国選抜大会、全国高校総体、国民体育大会等の常連校に。また、パワーリフティング部は全日本パワーリフティング選手権大会毎年出場し、平成元(1989)年8月には団体成績で初の準優勝する快挙を見せた。

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 施設の充実、教育カリキュラムの改訂、そして現れる課外活動の活発化…こうした学園の趨勢(すうせい)の中、国際化指向も大きな流れとして浮かび上がっていた。学園のこの頃の目立った動きに国際化の推進があった。
 国際交流の積極的な展開は清毅理事長の“イズム”によるところが大きかった。戦前・戦時にかけて蒙古で活躍した経験から国際感覚を身につけ国際的に豊かな視野を持っていた清毅理事長は、つねづね「環太平洋構想」を標榜し、早くから教育での国際性に関心を持っていた。
 昭和57(1982)年、短期大学に国際教養科を開設したのはその先例だった。翌58(1983)年には、カナダのカピラノ大学と姉妹提携を結ぶことになり、9月には同大学から2名の学生を6ヵ月間受け入れるなど、相互の交流が始まった。
 昭和62(1987)年には中国の北京第二外国語学院と学術文化交流協定、平成元(1989)年にはアメリカのニューイングランド大学と教育学術交流協定を締結し、広く海外に目を向けていった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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