学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 後継者の覚悟 #3 (第119話)
公開日 2012/09/27
礼法授業。特設科目として昭和 44年度から実施される(昭和 44年) 教育課程が整理統合され、特設科目が設定されていった。例えば、安城学園女子短期大学附属高等学校では新しい教育課程は昭和44(1969)年4月から実施されたが、同時に礼法教科書を自主編さんして発行したり、女性学・MD(教師と生徒、生徒と生徒が切磋琢磨する特別教育活動)などを含む全く新しい教育課程を導入(昭和56年4月)したりするなど“進化”を見せていくことになった。
 大学では、特に家政学において先進国である米国の大学を視察してカリキュラムの研究に当たった。同時に研究職としての専門能力を高め、新しい大学の在り方を模索するために、1ヵ年の在外研修制度も発足させた。

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 施設の整備拡充、教育課程の再編とともに、第3には、メンタルな面の強調を図ることだった。それは建学の精神の高揚だった。
 清毅は、母亡きあと久しぶりに学園に戻ってその現状を知るにつけ、母を想うところが多かった。
 幼い時から見知っていた母は、朝は5時に起きて朝食の準備に始まり、昼間は授業、放課後は寄宿生の教育、そして夕食の準備・後片付け。食事が済んでからは、台所の隣の部屋で夜なべ。家族の衣服づくりに励んだ。薄暗い電燈の下で針を動かしている母の横顔は厳しく、りりしさを漂わしていた。そんな極めて多忙な教授・家事の中、更に自らの勉強をしていたのだから、超人的でもあった。しかし、そんな気丈な母も、清毅が公職追放を受けた時は、さすがに気落ちして涙を出して悔しがり、気弱さを垣間見せたこともあった。
 しかし、その母が貫いたのは、逆境の人生にも屈せず、努力して知性と技術を培い、自立する女性として生きること、それを多くの人に教え伝えたこと、そしてそれを自ら実践してきたことだった。
 教育に対しても、女性の自立という教育のためには、「諦めない」という強い意思を持っていた。

―その思いを遵奉し、世に広め、浸透を図ることが、自分の使命、務めでもある…。

 清毅は、ここに学園の教育指針として建学の精神を明確に標榜(ひょうぼう)することを定めたのだった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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