学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 後継者の覚悟 #2 (第118話)
公開日 2012/09/26
昭和43年に開設されたLL教室 立て直しに乗り出して1年、精力的な清毅の努力は程なく効果を現していった。

―一般の人が10年かかるところを、大体その3分の1くらいでやってきた…。

 清毅には、もともとこうした自信・自負があった。かつて蒙古政府に勤めていた時、異例の昇進がもたらされたのもそれゆえのことだった。
 なんとか経理面の整理がつき、金融機関の信用も得られることになった。
 すると、さっそく次の改革のメスを入れた。

「再建は財政と教育にある…」

 と考えていた清毅は、ここで財政以外の内部整理と将来展望について中期計画を策定した。
 昭和42(1967)年10月、清毅は理事長に就任すると、直ちに5ヵ年計画による法人復興策を打ち出した。
 それは、意外にも積極的な“攻めの計画”であった。
 計画に2つの柱を立てた。
第1の柱は、施設の拡充。短期大学と高校が同居している状態から早く離脱しなければならなかった。そのために安城市小堤町の安城学園女子短期大学と安城学園女子短期大学附属高等学校の校舎を増築する。同時に、岡崎市舳越町の校地に愛知女子大学の新校舎とともに安城学園女子短期大学校舎を建設する。これはあえて執った“拡大戦略”で、学園のイメージチェンジを図る起死回生策でもあった。
 第2の柱は、教育課程の再編。それまでは官公立校の後追いであった教育課程を、学園独自のものに編成することだった。安城学園女子短期大学附属高等学校と岡崎城西高等学校の両校のカリキュラムは公立に準拠したもので、私学の独自性を示すような特色がなかった。そのため、私学としてのアイデンティティを示すための特色あるカリキュラムを編成する必要があった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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