学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 次なる飛躍 #2 (第81話)
公開日 2012/08/07
当時の寺部だい校長 人口が多く、交通の便がよく、文化水準が高く、将来の発展性も大きいところ…。といえば名古屋だ。だが、当時の名古屋は大正10(1921)年に周辺16町村を編入して一挙に市域を拡大、その面積は東京市の2倍、人口は60万を超え、東京、大阪に次ぐ全国第3位の大都市になっていた。そうした点、名古屋での教育展開は理想的ではあった。
 だが、だいは隘路(あいろ)を感じた。名古屋にはすでに各種の学校が多くあって、進出の余地は少なかった。それに用地を取得するのも容易なことではなかったのだ。急速な市勢発展にともなって、名古屋の地価は過去4年間で2倍にも高騰してきていた。これでは、土地、建物、内装など初期に膨大な資金を要する学校設置はなかなか難しい。

「…となれば」

 だいは、「県下第2の都市」である豊橋市に目をつけた。ここは、全国第2の生糸生産地として製糸業の工場が群立し、また第15師団が駐屯して、“糸と兵隊のまち”として栄えている。一帯は軍の演習場として十分なスペースがとられるほど広い平野が開けている。

―ここなら発展の可能性は大きい。広い敷地が得られて、将来の十分な拡大も望める…。

 心ひそかに抱く、次なる布石にも対応できると見ただいは、三蔵に意向を知らせて了解をとり、さっそく話を進めようとした。
 その矢先、三蔵が思わぬことを告げた。

「小堤で3千坪、反当たり米5俵の年貢料で借り受けることができる。ここへ学校を移そう…」
「ええッ?…」

 思いもしない提案に、だいは一瞬絶句した。
 聞けば、“安城女子職業学校が豊橋に食指を…”といった情報を聞き及んだ安城の町会議員たちの働きかけでそんな筋書きになったらしい。
 だいは無論、豊橋移転を強く主張した。だが、我意を押し通し切れない理由があった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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