学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 創めの地ここに #1 (第55話)
公開日 2012/07/06
昭和2年ごろの寺部だい 生れて間もない乳呑児(ちのみご)を乗せた乳母車を押して、2軒の家をかわるがわる訪れていた。

―もう、何度行き来したことか…。

 押す乳母車も心なしか重みが増してきたように感じた。それ以上に心にかかる重みが大きかった。
 2軒の間を往来して訪ねる先の応答はいずれも決まっていた。

「あちらさんがよろしいと言われるのなら、私も承知するが…」

 両方の家では異口同音に、共に決定権を相手に委ねて優柔不断な態度を見せるのだった。何度訪ねてもその言葉は変わらない。
 人の常のことながら、日頃親交のない人たちの信頼を得ることの難しさ、カネにまつわることの厳しさが、あらためて思い知らされた。
 だが、寺部だいは、なんとしても用件を達成しなければならなかった。願うのは、頼母子講(たのもしこう)で落札した200円の受け取りの保証を得ること。それは、だいが最近創った裁縫女学校の運営のために欠かせない資金なのだ。開校まもなく校舎の増築が必要になり、300円の資金の調達にかかった。桜井村(愛知県碧海郡、現安城市)川島のある寺で開かれた頼母子講に加入して、幸い第1回で落札できた。その金額は200円だったが、これを受け取るためには連借印が必要だった。
 その保証人に2名が指名された。村で一、二に屈指される大地主だった。だが、だいはその人たちとはこれまで深く交際はしていない。

―連借印を押してもらえるだろうか。

 承諾が得られるか案じたが、果たしてその不安は的中した。
 お願いに上がったものの、案の定、要領を得ない。結局、確答を得られないままに両家を行ったり来たりすることになった。
 両家の間は1キロ程、車を押しての女の足では20分はかかろう。
 交渉は夕方からかかって、次第に夜が更(ふ)けてもなお続いた。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
Copyright © 2011-2014 Anjo Gakuen Education Foundation. All rights reserved.