学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 宿望の大学設置 #2 (第115話)
公開日 2012/09/21
愛知女子大学(現愛知学泉大学)の昭和 41年設立当時の校舎 大学の新設には、財政的な問題をはじめ設置基準に合う教員、図書の確保など、様々な困難が横たわっている。それを数ヵ月でにわかに準備しようというから大変だった。関係者の懸命の努力で設置申請に必要なすべての準備を完了した。申請期限ぎりぎりの9月29日に、「愛知女子大学、同短期大学部幼児教育科設置認可申請書」を文部大臣に提出した。
 新設大学の名称は「愛知女子大学」とした。このネーミングは、第三者には“愛知県に存在する女子大学”だから単純にそう名づけたようにも思われがちだった。しかし、安城学園がこの名称を選んだのは、だいが「知を愛する女性」という表現を多用することからその趣旨をとらえたものであり、校名の決定に当たっては、教授会において全員一致で賛成されたのだった。
 こうして多少の曲折はあったものの認可がおり、昭和41(1966)年4月、愛知女子大学家政学部と愛知女子大学短期大学部幼児教育科が発足した。
 また同時に、幼児教育科の附属幼稚園として、安城市安城町字栗ノ木の地に愛知女子大学附属幼稚園(現愛知学泉大学附属幼稚園)を開園した。学園が擁する幼稚園は既存の安城学園女子短期大学附属幼稚園(現愛知学泉短期大学附属幼稚園)とともに2施設となった。
 認可申請を急いだこともあって周知が間に合わず、第1回の入学者は大学で20名、短期大学部幼児教育科で29名と、小ぢんまりとした人数だったが、それだけに少人数教育できめの細かい理想的な教育が展開されていった。
 安城学園女子短期大学(被服科、生活科、家政科)を中核としていたこれまでの学園の形態は、新たに愛知女子大学が核を担う存在となり、大学を頂点としたピラミッド型の教育体系を持った総合学園として第一歩を踏み出した。
 これまで高校と同一キャンパスにあった安城学園女子短期大学の一部も岡崎の地に移り、安城・岡崎間はスクールバスが通って、学園としての統括性が保たれた。
 大学発足にあたって、だいは大学の初代学長に就いた。だが、大学の発展を永く見届けることはできなかった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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