学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 学校資格を高め #10 (第75話)
公開日 2012/07/31
刺しゅう授業(大正後期) 新しく設けられた高等師範科には、だいのある思いがことさら凝縮されていた。
 入学資格を高等女学校卒業とするほかに、もう一つの特徴的なことは、年齢の制限をつけなかったことであった。そのため、高等女学校を卒業してのち、生き方を模索していた者などが教員の資格取得を目指して、全国各地から集まった。したがって、学ぶ者の年齢差も大きかった。そうした高等師範科の後年の応募者の中には、一家の再興を図って、夫と3人の子どもを郷里、長野県・諏訪に残してここに学び、夏休み中も帰省を惜しんで勉学にいそしんだ39歳の人妻もいたりした。
 だいは、そうした窮状を乗り越えようと努める学生を見るにつけ、わが身の過去をだぶらせて、この「高等師範科」に、さらなる思いをふくらませたのだった。
 半年後の10月、だいは同じく高女卒を入学資格として、修業年限2カ年の裁縫科中等教員養成部(家政高等師範科)の設置認可をうけた。中等教員養成を意図したのである。
 と同時に、この頃は、入学生が激増してそれを受け入れるための教室増設や、県内外の遠隔地からの入学者が多くいることから寄宿舎の確保にも大童(わらわ)とならざるを得なかった。応急にこの事に当たりながら、こうした動きの中、

―ここではもう限界が来る。この際、“新天地”を目指し、そこで中等教員を養成する、学校のレベルも上げたものを創りたい…。

 だいには、こんな“野望”のような思いが頭をかすめた。
 はじめはふとしたひらめきであったが、それはやがて発意となり、構想として計画されていった。専門学校の設立を図ろうとしたのである。
 今を踏み台として、さらに一歩高みに上がる。次々と学科の昇段を考え出していくだいは、学校経営に限っては“貪欲(どんよく)”なまでにひたむきだった。
 だが、専門学校設置の道のりは、果たして険しい難路だった。それは、だいの想像を越えていた…。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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