学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 創めの地ここに #6 (第60話)
公開日 2012/07/12
桜井村で裁縫を教えた6名が遠く滋賀県石部までついていった(後列右端・寺部だい)「聞けば、今まで知立にあった警察署や郡役所、登記所なども安城へ移されるとか。安城は碧海郡で一番のまちになるようだからねえ」

 やつが「安城へ出れば、色々都合のよいことが多い」と言うのも、そうした情勢をとらえてのことだった。

“家を越ししてでもこの三河の地に…”

 こうまで言われると、だいも逆らえなかった。
 やつは、さっそく安城町の朝日町(現JR安城駅東方)に、300坪(約990平方メートル)ほどの農地を求め、桜井にあった家を移築した。
 家屋は25坪(約83平方メートル)ほどの2階家だったが、ここで、近所の子女に裁縫の指導を始めた。
 安城の地に進出して、本格的な裁縫塾を開設―これが、だいと安城が因縁を結んだ経緯だった。明治43(1910)年の11月頃、だい、28歳のことであった。

* * * * *

 桜井村では教え子は20人ほどだったが、安城に移ると、だいを慕って寄宿して教えを受ける者もあった。
 だいは、桜井に塾を開いているうち、請われて滋賀県の石部実業補習女学校の教員になり、一時赴任することがあった。このとき、桜井での教え子6名が遠く石部までだいに従(つ)いて行った。教え子にそれ程までに慕われたことも特筆されるが、大事な娘を1人の若い教員に任せて遠く勉学に出したというだいに対する親の信頼の大きさも注目される。だいの教育者としての資性が示される一断面でもあるが、その資性は安城の塾でも発揮された。
 裁縫塾の運営は順調だった。
 やがて、だいは、女子に必要な家事・裁縫を主体に一般教養学科を教える女学校を創ることを意図することになった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
Copyright © 2011-2014 Anjo Gakuen Education Foundation. All rights reserved.