学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 拡充の昭和三十年代 #4 (第108話)
公開日 2012/09/12
よく設計された短期大学生活科ビルの調理実習室は他学から注目された 短期大学生活科ビルは、鉄筋2階建。それまで短大、高校で使っていた調理実習室を共用することは困難な状況になり、短期大学専用の調理実習室を新設することになった。
 だいはこの新調理実習室を理想的なものにして、短期大学の特色の一つにすることを考え、斬新なアイディアを盛り込んだ。教室と実習室を無隔壁で並行するようにレイアウトし、階段教室で講義を受けてただちに実習に移ることができるようにした。この高度の教育機能を備えた施設は、当時他の高校、短期大学で実習室が新・改築される場合、原型として倣(なら)われていくものとなった。
 次いで鉄筋2階(一部3階)の新館は、本館と短期大学生活科ビルの間に建設されたものであった。これまで教育内容の異なる短期大学と高校の教室の分離が強く望まれていたが、これにより同一建物に混在していた短期大学・高校の教室が分離され、両校の独自性が確保されることになった。
 そして、昭和36(1961)年の体育館。発端は伊勢湾台風にあった。昭和34(1959)年9月26日、東海地方を襲った伊勢湾台風は三河地方にも大きな被害を与えた。学園も、木造部分の校舎は甚だしい損傷を受け、特に講堂は半壊し使用不能になってしまった。このため、それまで講堂で催されていた学園の数多くの行事が戸外または学外の会場に求めねばならないことになった。安城公園(現市役所所在地)、本館南の空地(現小堤公園)を借用して体育の授業などが行われたが、日増しに強まる“講堂再建”の声に、屋内運動場と集会・行事の会場に供する体育館が建設されることになった。場所は本館の南、小公園に隣接する用地が手当てされた。
 講堂の再建計画は別にあったため、新設施設は、当時流行の講堂兼用の体育館ではなく、体育専用タイプのものが考えられた。

「これから他で建てられる体育館は時代の要請によってより立派のものになっていくであろうから、将来においても見劣りしないようなものを建てよう」
「設備は最新で、理想的のものに…」

 安城学園の先進的な発想がこの新体育館にも凝縮された。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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